タレント・お笑いコンビ 爆笑問題さん

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今から八年も前のことです。
私の仲間の芸人・萩原正人が、B型肝炎による肝硬変になり、病院で余命半年と診断されました。萩原があと半年と診断される少し前、本人から「俺もしかしたら、もう長くないかもしれません」と言われたことを憶えています。「そうか。早く死ね」。と、そんなことを言ったかもしれません。私達が何でもギャグにするのは、もしかしたらシリアスな現実から目を逸らしたいという意識が大きいのかもしれません。

当時もそんな気持ちになりながら彼の告白を笑い飛ばしたような気がします。
しかしそう言うのと同時にふと、肝臓がダメなら移植することが出来ないのだろうか。まるで単純な子供のように安易に発想した私は、「移植は出来ないのかよ?」と彼に聞きました。「B型肝炎というのは、移植してもすぐ再発してしまうんで、そのリストからハズされているそうなんですよ」。と。

「そうか、じゃしょうがねえな」。「ハハハ、そんな簡単に言わないでくださいよ」。そんなやりとりだったと思います。それから少しして、萩原は高熱によって倒れ入院しました。医師の判断は余命半年でした。

そうなって初めて私は、萩原はこのままでは本当に死ぬんだと、認識したように思います。彼には妻と小学校入学前の息子がいます。「あいつ、どうすんだろう」と。そうなって初めて、そういった回避出来ないシリアスな事柄が突然見えたのです。同時に、今までもどこかでわかっていながら、そういった事柄から目を逸らし、気持ちを誤魔化し、現実の問題と対峙しようとしない自分の性格を改めて認識することになりました。

今更それに気づいたってしょうがない。
どうにかしようったって、医者にあと半年って言われている奴をどうにも出来るワケがない。と。それが目の前に見える現実でした。でも、何か一発逆転狙えないか?そんな状況でありながらも、私にはまだ、そんな無知で夢想家の子供のような発想があり、本当に単純に、「移植は?」と再び思ったのです。本人は駄目だと言っていたけど、これだけ医学が進歩してるんだから、何とかならないってこともないだろう。本当にそんな無責任で、無邪気と言えば無邪気な、全く幼稚で乱暴な発想でした。当時の私にとってそれは、現実と向き合うというよりもむしろ、再び現実逃避することに、より近かったと思います。

明くる日電話し、対応に出た男性に対して私は恐る恐るといった感じで話しました。「…あの、移植についておききしたいんですが…」と。男性は、「移植されるのはどなたですか?」「年齢は」「性別は」「今どういう状態ですか」「病院は」「あなたとはどういう関係ですか」と、次々と必要な質問を繰り返されました。私は出来るだけわかりやすく今の状況を説明しようと務めました。

その後男性は、萩原の今の状況を私から詳しく聞き出しながら、あらゆるケースを想定し、それぞれに対応出来る可能な限りの方法を提示して説明されました。日本で移植する場合、海外の場合、ヨーロッパのそれぞれの国の場合、アメリカの場合、と。それぞれに必要な費用。

それぞれの有利な点、不利な点。生体肝移植の場合。ドミノ移植の場合。移植しない場合も含めて、実に細かくわかりやすく、話してくださいました。私が子供の夢想のように発想した現実味の無い夢のような、フワフワしたものごとが、その男性の話によってみるみるうちに現実の可能性と変化し、幾つもの具体的な選択肢が、アッという間に提示されたのです。そのどれもが、絶対に成功するといった確信などもちろんないですし、まだまだ途方もない夢のような話であることはあるのですが、少なくともこのまま、何もしないで萩原の死を待つだけという態度が、あまりにも愚かな選択であると思えるのには、それだけで充分でした。

私は全ての話のメモをとりながらその時点で思い浮かぶ限りの疑問点をお聞きしました。(中略)

萩原の命を救ったのは、医師と、多くの医師ではない人々です。私が萩原の一件で感じたのは、本当に多くの、〃医師ではない人々〃の力です。この力が医師と連携し、ネットワークを築けなければ、成し得なかったことがたくさんあります。